「坂路の申し子」ミホノブルボン死す!! 老衰、28歳 [競馬情報]
92年の皐月賞、ダービーを制した2冠馬ミホノブルボンが22日に老衰の
ため死んでいたことが23日、分かった。
28歳。12年の種牡馬引退後は、北海道日高町のスマイルファームで
余生を送っていたが、21日朝から寝たきりの状態となり、22日午後6時
すぎに息を引き取った。
同ファームの中村広樹代表は「ひと冬ごとに体がさみしくなっていきました
から。
ファンからいただく贈り物も多すぎるくらいで、本当に愛された馬でした」と
残念がった。
91年9月に中京競馬場でデビュー。
当時、最新施設だった坂路で4本追いを消化するなど、故戸山為夫師の
元で徹底的に鍛え上げられ、「坂路の申し子」と呼ばれた。
圧倒的なスピードを武器に快進撃を続け、朝日杯3歳S、皐月賞、ダービー
など、無傷の7連勝を達成。
ダービーは4馬身差の逃げ切りだった。
秋の菊花賞でライスシャワーの2着に敗れて惜しくも3冠制覇は逃したが、
92年の年度代表馬にも選出された。
その後は骨折など、度重なる脚部不安に悩まされ、94年に8戦7勝
(うちG1・3勝)で引退。
その後は種牡馬入りしたが、JRA重賞勝ち馬を送り出すことはできなかった。
ため死んでいたことが23日、分かった。
28歳。12年の種牡馬引退後は、北海道日高町のスマイルファームで
余生を送っていたが、21日朝から寝たきりの状態となり、22日午後6時
すぎに息を引き取った。
同ファームの中村広樹代表は「ひと冬ごとに体がさみしくなっていきました
から。
ファンからいただく贈り物も多すぎるくらいで、本当に愛された馬でした」と
残念がった。
91年9月に中京競馬場でデビュー。
当時、最新施設だった坂路で4本追いを消化するなど、故戸山為夫師の
元で徹底的に鍛え上げられ、「坂路の申し子」と呼ばれた。
圧倒的なスピードを武器に快進撃を続け、朝日杯3歳S、皐月賞、ダービー
など、無傷の7連勝を達成。
ダービーは4馬身差の逃げ切りだった。
秋の菊花賞でライスシャワーの2着に敗れて惜しくも3冠制覇は逃したが、
92年の年度代表馬にも選出された。
その後は骨折など、度重なる脚部不安に悩まされ、94年に8戦7勝
(うちG1・3勝)で引退。
その後は種牡馬入りしたが、JRA重賞勝ち馬を送り出すことはできなかった。
日刊スポーツ
ご訪問& nice ありがとうございます。
競馬に馴染みはありませんが、
ミホノブルボンの名前は記憶にあります。
by johncomeback (2017-02-24 20:47)
坂路で鍛えあげられた筋肉ホース
ミホノブルボンが老衰で・・
感慨深いものがあります
by はなだ雲 (2017-02-26 12:07)